↑オーガナイザー交代のお知らせ動画です。
ビートグランプリ初代オーガナイザーようすけ管理人です。

先のブログで発表したように私はビートグランプリのオーガナイザーを引退することにいたしました。
後任はOTAIRECORD店長である遠藤薫にバトンを引き渡すことになりました。
今後ともビートグランプリをよろしくお願いします。
改めてビートグランプリを引退するにあたって、本当にいろんな方にお世話になってきたなと振り返りを少しできればと思います。私は記憶力がもともと弱いので覚えているうちに書き記しておきたいと思いまして。
ビートグランプリを始めたきっかけ
私はOTAIRECORDという会社を経営していてその中でトラックメイクの機材を販売するにあたって、買っていただいてばかりで、なにかトラックメイカーに対して活動のお手伝いできないかと常日頃思っていた。
思えば、10年ちょっと前アメリカでビートバトルっていうのがちょっとはやってるらしい、という情報を知って、日本でもトラックメイカーの祭典があったらいいなと思ったのがきっかけ。
ラッパーだったりDJだったり、表舞台で活躍する一方、当時はトラックメーカーはなかなかそういった舞台がなかった。
これだ!と思ってパソコンに向かって計画を練り始めた。2015年の年末だった。
大会をゼロから立ち上げる
いざ計画を立てようにも細かいルールの制定もいるし、どのようなルールで行えばいいのだろうと考えた。
音楽の大会と言えば2013年にDMC JAPANを復活させて音楽のコンペティションは初めてではなかったし、経験がなかったわけではない。
でも、DJのように派手なパフォーマンスもないし、ステージ上でトラックメイカーが家でコツコツ作った楽曲を交互にかけてそれでバトルの雰囲気が出るんだろうか?、、、、そんな漠然とした不安を抱えていた。とにかく日本では前例が多分なくて、、少なくとも自分は見たことがなくて。
盟友、副代表のかきのね
そんなわけで周りのオタレコスタッフの力を借りながら、なんとなく立案は進んでいった。
ただ推進力という意味で、私の中で一番大きかったのは副代表であるかきのね存在だった。
かきのねは元オタレコスタッフで、2013年DMC JAPANを私がオーガナイザーで復活させた時も副代表として共に頑張った間柄で私のよき理解者であった。
また熱しやすく冷めやすい単純な性格の私と違ってかきのねは冷静で丁寧で、まあ簡単に言うと私の10倍くらいはしっかりしている人。
そんなかきのねに副代表のオファーをして受けてもらえた。
かきのねは冷静に見えて心の底で熱いものを持っている人柄で、トラックメイカーの光をもっと当てたい、という思いを理解してくれて快諾してくれた。
とはいえ本当に成立するのか?
とはいえ、この大会が本当に成立するのかは謎でしかなかった。
ただトラックをかけるだけの大会に面白みがあるのか?
募集したところでトラックメーカーから本当に応募があるのだろうか?
全くの未知だった。
私とかきのねが中心となって企画書を作りはじめた。
色んな音楽会社、アパレル会社、メディア、IT会社、アポを取って企画書を見てもらった。
渋谷、恵比寿、六本木、中目黒、秋葉原、いろんな町の色んな企業のいろんな人に話を聞いてもらった。企画書を持ち込んで熱をもって説明をする。会社終わったらカフェでコーヒーを飲んだり居酒屋に行って反省と次の作戦を練った。
私が熱をもって説明してかきのねが冷静に座組を説明していく。
この形が良かったのか大体の企業さんは何らかの協力をしてくださった。
断られたり門前払いになった記憶はほとんどない。
だんだん協力者が増えていき、ひょっとしたらうまくいくのではないか?そんな空気になっていくのが本当に楽しかった覚えがある。
一人でも楽しんでもらえればそれでいい
とはいえ協力者が増えれば増えるほどプレッシャーも増えていったのは事実。
ここまで風呂敷を広げてダメだったらどう責任を取ればいいのか。
そんな思いで不安がなかったと言えばうそになる。
ただ、トラックメイカーの人にも面白そう!という言葉を多くいただいて、それが思い切り実行の後押しになったのを記憶している。
一人でも楽しんでもらえればそれでいい、そんな風に考えたら気持ちが楽になった。
とにかくやってみようというマインドになり、大会開催に向けて突き進む。
2015年2月にはホームページを立ち上げ開催を発表した
今までの計画をいよいよ世に発表した。
メインスポンサーは大会創設以来ずっとお世話になっているTuneCore Japanさん。
そして多くの楽器メーカーさんやメディア、そして審査員も豪華な面子で協力していただいた。
大会のカギとなる司会はYOU THE ROCK★氏にオファーをしてお受けいただいた。
なんとなく漠然とだけどこの大会のMCをお願いするならYOUさんしかいないと思っていた。
トラックメイカーはそこまで明るくハイテンションな人間が割合としては少ないので、YOUさんのような圧倒的パワーがあればバランスが取れるのではと思っていたからだ。
実際YOUさんには本当にお世話になってYOUさんがいなかったらここまで盛り上がらなかったのではないかと思っている。
ふたを開けてみたら初回からとてつもない盛り上がりだった。面白い。予想の10倍は面白かった。
そんなわけで結果的に0回大会から万全の布陣でとなった。
何事も実績がない状態で協力してくれる人は本当に信用だけで、よしやってみろ、と背中を押してくれる存在で感謝してもしきれない存在で、本当にありがたかった。
実際情報を世に出したら大きな反響があり、20,30人応募があればいいなと思ったら初回からわけもわからない状態で200人を超える応募があってやっている自分たちが驚いた記憶がある。
ビートグランプリ2015 vol.0 2015/9/12名古屋ClubJB’s。ここからすべてが始まった。

200人を超す応募の中から10人ちょっとを選んで名古屋でファイナルを行った。
初めての事だったから、ミスのないように入念にチェックして本番を迎えた。
私の目の前には、日本全国から集まったえりすぐりのトラックメーカーたちで、どのアーティストも其おぞれの個性があって、目の前で行われているのは紛れもない音楽のスタイルウォーズだった。
大会であるから当然勝敗がつくのだがそれ以上に感無量だったのがトラックメーカー同士でみんな曲作りの情報交換をしたり同じ境遇のものが楽しそうに話をしている光景を見た時に、ビートグランプリの確信を得ることができた。
ビートグランプリの成り立ちは大体そんなところ。
本当はお世話になった人の名前を全員上げたい気持ちでいっぱいですが、1週間くらいかかりそうなのでそこは勘弁していただければと思います。
それから10年経って
そんなわけで大成功を収めたvol.0大会から毎年コツコツ続けてきた。
SPOT大会であるBEATGRAND PRIX CLASHなんかもあったし、いつも名古屋ばかりでやって東京でなんかやってくださいという事が多かったので立ち上げたBEAT GRANDPRIX EXPOだったり。
またコロナ期間中にもビートグランプリを何とか続けれないかとオンラインで開催させてもらったのも大変思い出深い。実際に対面してバトルを行うのではなく、ネットを通じてオンラインでバトルするのだが、これまた新しい角度でトラックメイクを楽しめるきっかけになった。
↑オンラインの結果発表番組は音楽映画のような仕上がりにした。
↑監督には元オタレコクルーの國枝くんを迎えた。これはメイキング。
またビートグランプリのコンピレーションもリリースされていたり。
作って作られて。聴いて聴かれて。ここまで来たが
私がビートグランプリを立ち上げて引退するまでの間の10年間。
いろんな企画やコンテンツをかきのねを中心としてオタレコクルーみんなで作り上げてきた。
本当いろいろ作ってきた。それに対して多くのトラックメーカー達がとんでもない数の楽曲を作ってきて、それを聴かせてもらって。それをまた大会として多くのファンの耳に届けて。
それの連続だった気がする。
流行音楽は常に若い人のもの。新しいものに触れた初期衝動は音楽体験の中でも特別なもの。
私自身そういう思いが強い人間なので、今年で50歳になってしまったので、私が引っ張っていくのに迷いが生じていた矢先、部下の遠藤が俺がやります!と手を挙げてくれた。それがきっかけで引退を決意した。本当に私にとっては喜ばしいことで。
今までありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
そういうわけで私のオーガナイズは10年をもって終了となります。
あとは新オーガナイザーの遠藤がもっと面白い大会にしてくれると思います。
今までかかわってくれた関係者様ファンの皆様本当にありがとうございました。
そして何よりトラックメーカーの人たち。最高な楽曲を一番近いところで聴けた10年間。
音楽しか能がない私にとってはこんな幸せなことはありません。
そしてこの大会を共に作ってきてくれたオタレコクルーに感謝とリスペクトをささげたいと思います。
ちょっと振り返ろうと思ったけどとめどもないので、オーガナイザー交代のこのタイミングで、盟友かきのねと今度振り返りでもしようかな。
また今後はOTAIRECORDのCEOとしてBEAT GRANDPRIXをサポートしていくのでちょいちょいOB的に登場してやる、感じです。一番楽なポジション!w
というわけでこれからもBGPをよろしくお願いします。
2025/8/18 BEAT GRANDPRIX初代オーガナイザー ようすけ管理人


